城山ホテル鹿児島と歩む人生 CONCEPT

365日 幸せを、
かさねていける場所。
ここからふたりでよく見た、いつもの景色
嬉しいプロポーズは森のチャペルで
笑って泣いて、大好きなひとたちにお祝いしてもらった結婚式
記念日がくるたびに思い出のレストランで、ずっとお祝いしようね
これから先、こどもの誕生や七五三、入学、卒業
いろんなことが待っているはず
そしていつか迎える銀婚式が来たら、またあの頃みたいにふたりで散歩して、写真
を撮ろう
これからも家族の節目をここでお祝いして、幸せな思い出をかさねたい
人生をふりかえるとき、思い出す景色は大切なあの人の笑顔と、この場所
幸せを、かさねていける場所がある Life Time Value
beside happiness something that is always there.

花嫁になるより
幸せになる未来
花嫁になる日よりも、
幸せな未来。
子どもの頃から憧れていたチャペル挙式に、
ウェディングドレス。
みんなが喜んでくれる楽しいパーティー。
ずっと行きたかった国への新婚旅行。
すべて叶えたその後は?
どうすれば、幸せな未来が続いていくのでしょうか。
これからご紹介する4組の家族のお話から、
その答えが見つかるはずです。

Episode.1 結婚1周年
付き合っていた頃より、
好きになりました。
私も彼もお互いに働いているので、
一緒に夕食を食べられるのは週の半分だけです。
だからこそ「会話を大切にしようね」という一年前の約束を、
今でもずっと守っています。
結婚一周年のディナーは、ホテルのスカイラウンジで。
挙式から一年経っているのに、ホテルに足を踏み入れただけで、
結婚式の日の楽しい思い出がよみがえってきました。
最近、彼と私の父が、一緒にお酒を飲むことが
増えてきました。
もともとお酒が苦手だった彼。
「お父さんとお酒が飲みたい」と晩酌の練習をはじめ、
今では彼のほうから、私の実家へ行こうと誘ってくるほどになりました。
私は三姉妹だったので「息子ができた」と、父も嬉しそう。
彼が私の親を大切にしてくれるほど、
私自身も大切にされていることを感じます。
夫婦になっていつもそばにいるぶん、
彼の素敵なところが前よりもっと見えてきました。
漆間尚子

Episode.2 還暦
娘として、
ずっとつながっていたい。
父の還暦のお祝いは、私たちの結婚式と
同じホテルで行いました。
たくさんの親戚が集まった、父の還暦祝い。
プレゼントしたのは、真っ赤な野球のユニフォームでした。
高校野球の監督を17年間、 今は中学校の
野球監督を務める父。
弱かったチームを、九州大会に出場するまでに育てあげた、
その挑戦し続ける姿勢をとても誇りに思っています。
「野球を続けてずっと輝いていてほしい」
そんな願いをこめた贈り物でした。
「古希祝いには何をもらえるかな」 と、父は冗談めかして言いますが、
10年後も、 私たちはここで父をお祝いしていたいです。
そしていつか、私の娘もこの同じ場所で結婚式を挙げている
そんな光景を思い浮かべると、未来が楽しみになってきます。
結婚して、生まれ育った家を巣立っても。
両親、 私 私の娘と、その絆はずっと
つながっていくのだと思います。
眞ヶ田 早紀

Episode.3 七五三
母にしてくれて、
ありがとう。
昨年、ホテルのお座敷でお祝いした次男の七五三
子ども、私たち夫婦、両親、祖母まで4代の親族が集まってくれました。
私たち家族でお礼の言葉を述べたとき、
結婚して、子どもが生まれ、七五三を祝えるまでになった時の流れが、
記憶を巻き戻すようによみがえってきたのです。
ここにいるたくさんの人たちに支えられて、 今があること。
それをあらためて感じて、
感謝の気持ちがあふれてきました。
またこの日、もうひとつ、私が嬉しかったこと。
それは、次男から曾祖母への「ありがとう」の言葉を聞けたことです。
少しはにかみながらそう言っていた息子の横顔を見たとき、
「人の気持ちが分かる子になったんだ」と胸がいっぱいになりました。
叱らなければならない時。 子育てに悩む時
それらの時間もすべて、子どもの成長を見る日の喜びに
つながっているのだと思います。
私の母も、こんな喜びを感じながら、私を育ててくれたのでしょうか。
子どもの成長とともに、分かることが増えてゆく。
これからも私を育ててくれるのは、三人の子どもたちです。
下田 亜希子

Episode.4 銀婚式
いま出会ったとしても、
結婚すると思います。
夫との出会いは26年前。
新婚生活は、種子島へ移り住んでの
慌ただしいスタートでした。
お互いほかに誰も頼る人のいない島で、 今思えば、
あの暮らしこそが、 夫婦の絆を作ってくれたのかもしれません。
3年間、 種子島で一緒に暮らした後、夫は単身赴任となり、
15年ほど夫婦別々の生活になりました。
「仕事ばかりで、家庭のことは任せっぱなしだった」と、
彼は申し訳なさそうに言います。
けれど、私はそんなふうに思ったことはありません。
離れていても家族のことをすべて分かっていてくれたので、
ふたりの娘の進学など、何でも相談することができました。
仕事熱心な彼を尊敬していたし、
私もそれに応えて、家庭を守る覚悟を決めることができたのです。
昨年、ホテルのレストランで銀婚式をお祝いしました。
ふたりの娘も成人し、今はまた夫婦ふたりに。
これまで離れて暮らすことが多かったので、
これからは
ふたりの時間を大切に過ごしていきたいと思います。
金丸 昭子